よもぎ 蒸し 東京にライバル出現!
O氏は、多くの企業が円高不況に苦しんでいるときに、「助けてくださいという依頼心を持つのではなく、これでやれなければ死んでも仕方がないくらい本気でやれば、生き残る道は開ける」といって、T生産方式の普及に努めた。
甘えを捨て、いかにして1OO%の能力を発揮すべきか。
これに徹して考えたい。
T生産方式にとって「標準作業」は重要な基礎だ。
標準作業は、モノをつくっていくとき、モノを運ぶとき、モノを調達するときの基準となるもの。
人の動きを中心に仕事を進め、ムダのない順序による効率的な作業のやり方をいう。
標準作業は「タクトタイム・作業手順・標準手持ち」の三要素からなる。
作業は、標準作業どおりであるよう求められる。
1般的な生産方式が、標準作業をさほど厳格に決めず、作業の要領書をもとに、見て覚える方式をとっているのと比べると、その厳格さは突出している。
中身を知らない人が、この話だけを聞けば、ファストフ1ドでお馴染みのマニュアルやチャップリンの映画を思い浮かべるかもしれない。
決められたとおりに身体を動かして、ひたすらに何かを組み立てている、そんな光景が浮かんでくる。
標準作業が目指すのは、ムダを省いて、人間の考える力を引き出すこと。
標準作業についての実践例をいくつかあげてみよう。
「現場の作業は素人でもやれるようにしないといけない」「汗をかかせるのは監督者の仕事のやらせ方が下手なのだ」「能率は工程の進み方が大事で、汗を多くかくことではない」。
いずれも熟練工でもなんでもない、普通の人が普通の動き方で、あるレベルの仕事を無理なくムダなくできるのを、標準作業は目指している。
ここまでなら、まだマニュアルと大差ないかもしれない。
重要なのは標準作業が守れないのは、習熟度に問題があるか、標準作業そのものに問題があるかといった、問題点を浮かび上がらせるのを目指しているところだ。
あるTの工場では、仕事の進め方について、「レ1ルがあるから脱線がすぐわかるのだ」といっているのを聞いた。
きちんとした標準がなければ、何が問題かさえもわからない。
特に1般的生産方式における「見て覚える」方式では、人間関係なども影響するため、問題の本質は余計わかりにくくなる。
ここにもT生産方式の「目で見る管理」が生きている。
さらに標準作業は、上からのお仕着せであってはならない。
現場の人間が、自ら書いて、自ら改善を進めていく。
だから、標準作業は最初からベストを目指す必要はない。
O氏は「ちょっと甘い標準作業をつくっておくとみんなが改善できる」といっている。
現状のやり方をきちんと標準にしたうえで、みんなで知恵を出して、改善に改善を重ねていく姿勢こそが大切になってくる。
人の動きのなかに隠れている小さなムダを見つけ出しては1つひとつ丹念につぶしていく。
その改善によって「動きは働きに変わって」いくし、生産性も上がっていく。
T生産方式は、こうした標準作業の改善のような小さな現場の改善の積み重ねで、大きな成果につなげている。
標準作業とマニュアルは一見よく似ている。
自ら書き、自ら改善する点で、決定的な違いがある。
若いビジネスマンのなかには、仕事の進め方からビジネスマナまで、なんでもマニュアルに頼ろうとする人がいる。
マニュアルどおりの状況なら、実にそつなくやれるが、ちょっとイレギュラな状況が生じると、途端に破綻してしまう。
何もないときはできて当たり前である。
トラブルが起きたときにどうするかで、本当の真価は問われる。
そろそろ米国から持ってきた翻訳物のマニュアルやノウハウ本だけに頼るはやめにしたらどうだろう。
標準作業は、本来は自分で書き上げるものだし、問題点を発見するたびに標準作業を書き換えるから、進歩も生まれ、自らの成長もある。
翻訳物に頼っていては、所詮物真似から脱することはできない。
T生産方式は、ムダの徹底的な排除によって成り立っている。
ムダには、つくりすぎのムダ・手待ちのムダ・運搬のムダ・加工そのもののムダ・在庫のムダ・動作のムダ・不良をつくるムダ・産業廃棄物のムダなどがある。
なかでも「つくりすぎのムダ」は、最大のムダを生む。
材料を先食いし、機械設備を使い、電気代を使い、工数を使い、在庫をつくり、原価だけを高める。
つくれば売れた時代には、どうせ来月には売れるからつくっておけと、機械をフル稼働させて目一杯つくっていた。
機械はフルに使ったほうが償却負担も軽くなるし、計算上の原価も安くなる、だからたくさんつくるという考え方が横行していた。
たしかに計算のうえでは安くあがっているように見える。
だから、余分の材料費や人件費などがかかっているし、余分につくっても売れなければ仕方がない。
本来は必要なものを、必要なだけつくって、それで売っていけば、1番儲かるに決まっている。
何種類かの商品があっても、消費者は工場が考えているとおりには買ってくれない。
売れ行きに合わせてつくらないと、在庫になってしまうし、デッドストックになりかねない。
工場の責任者が、「ロットサイお客様は1個だけ欲しいわけだから、残りの九個は、いわば余計なモノをつくっている結果となる。
これでは仕事をしているとはいえないし、親方の実力もたかが知れている。
「いま売れているモノ」「売り切れてすぐに欲しいモノ」を追加フォロ生産するのはもちろん、「欲しいモノが注文してすぐにできる」江戸前寿司的なモノづくりさえ求められている。
こうしたモノづくりは、外注依存・大ロット生産・海外生産では不可能だ。
営業からの注文を受けるやいなや、生産から物流に至るまで、情報とモノが連動して動く「一気通貫のモノづくり」体制がないと実現しない。
まとめてつくっておいて、倉庫に保管しておくやり方では、肝心の欲1個流しのモノづくりであれば、つくりすぎのムダもなく、消費者のニーズにきめ細かく対応できる。
もちろん大ロットから1個流しへの道のりは簡単ではない。
ものの見方・考え方ややり方を18O度変えなければならない。
特に短い段取り替えや、人材の多能工化がないと不可能だ。
何より「もっとよいやり方はないか」と社員1人ひとりが常に知恵を絞る風土がないと、1個流しのモノづくりは実現できない。
かつてのモノづくりでは、競争力を取り戻すのは不可能だ。
同時に目指すべきゴルもそこに見えている。
国際競争に勝ち、消費者に支持されるためには、何をすべきかはっきりしている。
モノづくりの世界では、もはや大ロットは通用しない。
消費者1人ひとりのニーズに応える、わば「単位とするモノづくりが求められている。
Tを離れてから、2O年にわたってT生産方式の他業種への導入と展開に努めてきた。
た段階で改善の手を緩め、もとに戻ってしまう会社もある。
あるいは導入にさえ強い抵抗を示し、ほとんど実践に移ろうとしない会社もある。
T生産方式をわがものとした会社が、現在では堂々たるモノづくり企業となっているのに対し、できなかった会社は、いまになって変化を求められている。
同じようにT生産方式に接しながら、なぜこのような違いが生まれるのだろうか。
規模や業種、地域性はまったく関係ない。
最大の理由は、再三触れるように、T生産方式が単なる手段・手法ではなく、経営システムであるからだ。
ものの見方・考え方を根本的に改めなくては、実践も定着もできない点にある。
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